私の経験から言うと、合気道は強くはありません。以下、私の経験談です。 私が通っていた道場に、ある日、空手をやっているという20歳代前半の青年が訪れました。 「手合せを願いたい」 彼は言いました。 「そういうのはお断りしている」 という師範の言葉を聞き、青年の態度はだんだん挑発的になっていきました。 文章で書くのはとても気が引けるようなヒドイ言葉を並べてきました。 あまりに、無礼な態度に遂に、先生も会員たちもキレてしまい、勝負をすることになりました。 「ぼくちゃんたち、グローブしなくて大丈夫?」 青年はますます挑発的な態度を見せます。 「っていうか、一対一じゃ結果見えてるから5人ぐらいまとめて来いよ」 みんなの苛立ちはピークになり、弐段の男性が青年の胸ぐらに掴み掛りました。 しかし、その瞬間、腹を殴られその場にうずくまってしまいました。 「だ・か・らまとめて来いって言ってんの」 青年は両手の平を上に向けて、肩をすくめて見せ、ますます”なめた”態度を見せ始めました。 もはや混沌とした状況になり、黒帯の人たちが次から次へと青年にかかっていきました。 しかし、その都度みんな一撃で倒されていきます。 ほとんどは、腹やわき腹を殴られうずくまり、中には、ローキックを食らって片足立ちになり膝を折られて倒れ込んでしまう人もいました。 私はというと、当時初段でしたが、先輩黒帯が次々と倒れ込んでいく姿を見て、怖くて動けませんでした。 ものの5分もしないうちに、道場内には10数人の黒帯の男性がうずくまっているとうい状況になりました。 青年は息も上がっていない様子でした。 「次はだぁ〜れ〜?」 青年はバカみたいにおどけながら問いました。 残りの会員たちは、みんな戦意喪失です。 みんなの視線がなんとなく先生に向かいました。 「仕方がない」といった感じで、先生が出ていきました。 この時はじめて、青年は警戒心を示したように私には見えました。 今まで、子供と遊んでいるかのようにさえ見えた青年の目つきが鋭くなり、一定の間合いを保つための動きを見せたように思いました。 青年の警戒は本当だったようです。 今までのように秒殺することはせず、一定の間合いを保ちながら気をうかがっていました。 間合いが近くなり、先生は左手を差し出しました。 もちろんこれは手首をつかませるのではなく、つかませる瞬間に引いて相手のバランスを崩す狙いです。 先生の目論見どおり、青年は手首をつかもうとしましたが、上手くつかむことはできませんでした。 その瞬間、先生の裏拳が青年の顔面を狙いましたが、ガードされ、同時に青年の正拳が先生の腹に食い込みました。 先生とはいえ、合気道家です。 特に鍛えてはいらっしゃらなかったのでしょう。 傷みで前かがみになったところを、肩を前に引かれ、背中に鉄槌を振り落とされ、そのまま畳に倒れ込みました。 先生がぼこぼこにされるかと思いましたが、青年は倒れ込んだ先生をそれ以上攻めることはありませんでした。 「私の勝ちということでよろしいですか?」 青年は突然丁寧な物言いで尋ねました。 もちろん、青年の圧勝は言うまでもないことでした。 「先ほどまでの無礼をどうかお許しください。どうしてもお手合わせ願いたかっただけなのです」 青年は、ますます丁重になっていきました。 「私の目的はあくまでも自分の強さを試すことです。合気道を潰したいわけではありません」 青年の言いたいことは、この話は内密にしておくということだったように思います。 先生は、当時50歳代後半で決して若くはありませんでした。 しかし、内弟子として30年以上合気道の修業を積まれた方であり、合気道界では、とても有名な人です。 普段の稽古では、先生の技は正に神業で、組まれた瞬間全身の力が抜けてしまうような感覚に襲われたものでした。 しかし、たった一人の空手家の青年に全く歯が立ちませんでした。 あの、塩田剛三先生の武勇伝の中には、ボクサーや柔道家を倒したという話も多くあります。 しかし、先生の話によると、合気道の稽古は、戦前と戦後でその内容が大きく変わってしまったと言います。 合気道は、本来、後の先の理合による打撃系の武術だったと言います。 もちろん、組み技も稽古していましたが、それは、「間合いによっては組み技になる」というすべての武術に共通していることに過ぎなかったのだそうです。 しかし、戦後、合気道の普及を考えたときに、打撃技を中心にやっていては、「老若男女誰にでもできる」という売り文句が使えないという理由から、現在の組み技中心の型稽古へと変化していったのだそうです。 先生も今の合気道は実戦向きではないと認めていらっしゃいました。 私は、この一件ののち、すぐに道場を退会し、空手に転身しました。 空手の稽古を始めてから3年が経ちます。 今、私が合気道道場に道場破りにいったらどうなるか? やはりあの時と同じ結果になるでしょう。 しかしその反面で、今現在の組み技中心の合気道技であっても決して”使えない”とは思いません。 トレーニングとスパーリングをしっかりやっておけば、少なくとも空手家が相手であれば十分勝負になると思います。 問題なのは、トレーニングやスパーリングといった「強くなるための稽古」を行わず、「理合の追及」という武術としての研究ばかりを行っていることなのだと思います。 合気道界ではよく「殺人武術はいらない」とか「争いを超越した〜」とか「和の武道」などという言葉を使います。 しかし、武術は本来、「素手で人を殺すための技術」であるはずだと思うのです。 「そんなものいらない」「教育によくない」色々ご意見はあるでしょうが、それが武術なんだから仕方がないと私は思います。 私は、合気道を経験しそして離れたことで、客観的にまた冷静に合気道を評価できる立場になったと思っています。 また、上記の青年空手家が内密にしてくれたであろう話をわざわざネット上に暴露したのは、合気道を潰すためではありません。 「合気道は力を使わなくても相手を倒せる神秘的な武術」と勘違いしている人たちに正しい認識持っていただき、強くなりたいのなら、空手や柔道など合気道以外の武術を選ぶべきだということを知っていただきたいだけです。合気道の稽古はとても面白いものであり、上述のとおり、「強くなるための稽古」を行っていないから使えないというだけの話です。例えば、合気道を稽古し、その傍らで総合格闘技の道場に通ったりすれば、合気道技を戦いの中で活かしていくことは十分可能になります。 現在の合気道団体を否定するつもりは全くないことをお断りしておきます。
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